喪失感

2018年9月3日月曜日

海外生活



アムステルダムの少ない友人の一人が帰ってしまった。
彼女がアムステルダムに移住してきたのは一年前。ということで出会ってからたったの一年、しかも時々会う程度だったから本当にあっという間だった。
いまでも来たばかりで新しい家のためにショッピングしたりしたことを思い出す。
彼女の個人事業主登録をしについて行ったのも、その登録を終了しに行ったのも私だった。

最近わたしも気づかないうちに海外生活に慣れてしまって、周りも新しく海外に来た人なんてほとんどいなくなってしまった。
そんななか、常に新鮮で一生懸命に一年間(物価の高い)アムステルダムで生活していた友人を誇りに思う。
そんな努力家で現実的なベルリンではなかなかお目にかからないような人だからこそ、日本に帰ることを決断して早々に帰ってしまうことになった。
彼女のためでもなく、公平に見て、彼女が海外生活失敗して帰ったということではない。むしろ日本での生活にメリットを見いだして帰る決断をしたので驚いてしまった。
彼女は自分が海外で何をやりたいか目的をはっきりさせてたし、達成する為の時間配分もうまくやっていた。初の海外生活でとんでもないトラブルに見舞われてばかりだったのだが、バランスの良いプライドを持ってチャキチャキ動き回っていた。彼女のすごいところはあきらめることを知らないというところ。
素敵なお家に住んでいて、家賃も少々お高めだったのだが、安い家に移ることもなく結局一年住み続けることができていた。この一年沢山危機があったと思うし、もしそういう状況であればさすがに普通の海外一年目の人は安全策をとってしまうだろう。
(ベルリン精神が染み付いている私としてはコネを最大限利用して、家賃はできるだけ安く、出費もできるだけ安ければいいという考えにとらわれがちだが、アムステルダムでそれをやると悲惨になることはわかった。)
それに比べたら、わたしの海外生活っていうのは毎年毎年代わり映えしなくなってしまった。場所が変わったって結局安全地帯でチャレンジしないでうろついているだけ。
下手に言語とかにあまり不自由を感じなくなってしまってさらに簡単な道へと逃げてしまう。
ずっと彼女からは刺激をもらっていたのだが、いざ帰る前日に会うとああ本当に一瞬だったな…と寂しくなってしまった。彼女が来たときからいままで、何ができただろうか。彼女は私の3倍も5倍も成果を残して帰って行った気がする。次の日ふともうあの素敵な場所にある家に行っても会えないのか…。と心にぽっかり穴が空いた気分になってしまった。
10年ぐらい前から私にとって春ではなく夏の終わりが出会いと別れの時期になってしまった。彼女から学べたことは本当に沢山あった。
アムステルダムで一年一生懸命生活した海外一年目の友人を今後もずっと誇りに思うだろう。日本でも沢山チャレンジして充実した人生を送ってもらいたい。
がんばってね〜

Search this blog

hello

 

ヨーロッパをうろうろしてしてる人

Blog Archive

QooQ