帰国子女の多い高校に行っていた話

2018年10月22日月曜日

Daily life 英語 留学


昔話ですが、わたしは意図せず帰国子女の多い高校に通っていました。
実際この高校での経験は後々の私の進路や考え方に影響を大きく与えたと思います。
どんな(悪)影響を与えたのか、どう考えを変えたのか、どんな人たちがいたのか思い出話を語りまする。

そもそもなぜ帰国子女の多い高校に通っていたのか


実は帰国子女が多いなんて全然知りませんでした。わたしの通っていた高校は首都圏にある地元の公立高校でした。唯一知っていた事は家から近くて、まあまあ大学進学する人が多い、そして理系に力を入れている、地元の古くからある自由な高校ということだけ。第一志望の私立の高校に入れなかった私は朝の時間を最大限睡眠に利用すべく、近所の高校に行く事に決めたのでした。

大量の帰国子女を目の当たりにした衝撃


帰国子女が多い事は入学してすぐに気づきました。
友人と友人がどこどこの国の日本人学校の同級生だった、とかそういう話を入学した直後からよく聞いていました。わたしは、「はて?この学校が国際色豊かだなんて一度もきいたことないのだが?」と驚き、場違いな場所に来てしまったという考えがよぎりました。
入りたての吹奏楽部の同じ楽器(トロンボーン)の唯一の先輩もニューヨークからの帰国生でした。先輩いわく、アメリカの学校のクラブ活動で楽器を始めたそうです。(本場ジャズかよ!)
ちなみに、トロンボーンで翌年入って来た後輩はドイツから来ていました。
一番衝撃だったのは、とある授業の時間、「わたしの住んでいた場所では必ずメイドさんを雇っていました。」という謎の帰国子女あるあるトピックの発言から、先生が興味本意で「このなかで海外で一度でも生活したことある人〜?」とみんなに問いかけると、まさに教室の1/3が手を挙げていた事です。想像以上の数でした。めずらしい数人の帰国生というレベルではありません、40人の定員満員学級の1/3です。


どんな帰国子女がいたのか


実は帰国子女と言っても住んでいた国はバラバラでアジア諸国から来た人がかなり多かったです。インターナショナルスクールで英語で話しているような学校ではないので、現実はこんな感じだと思います。もちろん、典型的帰国子女のイメージがついている、アメリカ、オーストラリアなどの英語圏、ドイツなどのヨーロッパからの帰国生もいました。

テレビのなかの帰国子女と現実の帰国子女の違いは大きかったです。
日本語のなかに英語とか挟んでくる人や「日本語でなんて言うんだっけ〜?」というような発言をする人を聞いた事がありません。また、アジア圏からの帰国子女の生徒達は日本人学校に通っていた人がほとんどで、特に何かの言語に達者というわけではない学生も多かったです。服装も普通、行動も普通な人がほとんどでしたが、かなり自由な人も数人いました。

なぜ帰国子女が集まっているのか


真相はいまだにわからないのですが、帰国子女界隈では有名な進学先だということは帰国子女の友人に聞きました。帰国子女入試があり、年に数人入ってくるのもあるのですが、憶測ですが、どうやら、わたしの高校が校則がほぼゼロで自由なので海外生活と日本文化の移行期間としては最適なクッション環境だったんだと思います。帰国子女の人が全員帰国子女入試で入学をしているわけではないのですが、帰国子女入試で入って来たかなり最近まで海外にいたとある男子学生は毎日机と椅子ではなく、教室の窓枠に座って授業を受けていました。ちなみにビーバップハイスクールではないです。一応進学校のひとつです。

帰国子女に囲まれた高校生活が与えた私(日本生まれ日本育ち、引っ越し経験なし)への影響


高校時代


実は中学校から理系が好きで理系に進む事は内心決めていたものの、中学時代は同時に英語が得意だったのです。塾では英語の特別クラスをとっていて、みんな外語大だの上智に行きたいだの公言している人たちばかりでした。中学校には帰国子女なんていなかったので無知だったのです。しまいには高校に入ったらちょっとは海外研修なんか行けるかしら、なんて考えてみたりしていました。
しかし入学後の目の前にはだかる海外組。そのうち何人かは英語ネイティブレベル話すという状況を目の当たりにして
「夏休みの海外研修数週間が英語能力に与える影響は微々たるものである可能性が高い」
と判断し、また英語が得意だと言っていた自分が恥ずかしくなり、英語を捨てました。もうこいつはわたしの得意科目でなくて良い。まさかの英語との決別です。
冬に学校休んでアカデミー賞授賞式を現地で観てました〜なんて言う人にかなうとは思えませんでした。上智大の英語のみで行われた大学説明会でのジョークに一斉に笑う集団にかなうとは思えませんでした。まず、アメリカなんて行ける場所だと思ってなかった。
(後日談:そうはいっても、中学時代の塾のあの特別クラスのハイレベル授業の意味があったのか結局、受験英語はずっと事実上得意でした。)

進学


実は英語圏に居た生徒たちは大学で英語圏に戻る傾向が少しありました。アカデミー賞現地で観ていたクラスメイトもアメリカの大学に進学しました。みんなが国内大学受験のために必死に勉強して、情報共有しているあいだにひっそりと裏で海外大学を受験しているこの超斜め上感にまた驚きました。卒業あたりに「わたしはオーストラリアの大学の海洋系の学部に決まったの!」と突然報告されて、なんというか不思議な気分になりました。
やはりわたしが英語を捨てたのは正しかった、と思わずには居られませんでした。
私は予定通り理系大学に進みました。むふふ、もうインターナショナルな人間ともおさらば!数学は世界共通言語…数学は世界共通言語…


大学


わたしの高校時代の友人が数人同じ大学に在籍していたものの(地元大学の結末)、基本的にはまた中学校以前と一緒の普通の日本文化のなかにいました。私の大学は同じキャンパスに理系も文系学部もあったりして色々な人がいました。
なのでもちろん、もちろん、安易に「英語を勉強するために半年間カナダに語学留学してきます。」という人が大勢いるのです。
わたしは高校時代の衝撃から偏った思考になってしまっており、「一体半年カナダに行って何になるというんだ。本当に英語を使える人材というのはだな、いまごろ英語圏の大学に進学しておるのだ…いやだいやだ、こういう安易な考えの人とは距離を置きたい。」と、どんどん大学の国際交流関係事業および、それに参加する学生、短期語学留学をする学生と距離を置き、理系は専門分野を極めることに集中することが第一をモットーとして偏屈な学生に成り下がって行きました。

まさかのイギリス留学


しかし、大学4年になって研究室に入って色々なことに絶望しました。
特に、大学院修士の先輩が無駄な時間を送って特に何も得ていないように見えてしまって、この大学に残るという選択肢を消しました。しかし、まだまだやはり専門性が足りていないと感じていて、どこかの大学院には進学をしたいと考えていました。
実は大学二年生ぐらいからバイト先の近くの洋書を取り扱う大きな本屋でよくイギリスはロンドンのAA SchoolのYear Bookという卒業制作のまとめのような本を買って読んでいたのです。けっこうAA Schoolのアプローチは自分の好みにあっていて、あろうことか英語圏のイギリスの大学院という選択肢は?と突然考えるようになってしまったのです!
一体あのかたくななアンチ留学キャンペーンはなんだったのかという話です。でも高校時代のトラウマも過去のものとなり、ここで首尾一貫性を追求して自分の学問の追求に支障をきたすのも本末転倒ということで、個人的に納得し、とりあえず留学準備学校などの余分なお金は払えないので大学で開講している英語の授業をできるだけ多く履修することにしました。そこで出会う安易な留学組とのプライドの戦い。いままで距離を置きたかった人々が周りに沢山…。恐ろしい。
ただ、わたしの偏屈思考は間違っていないと思う事もありました。
例えば、前述のとおり受験英語が得意だったので留学すると決めてからちょっと参考書に目を通したらまあまあのTOEICの点数がとれてしまったので、すぐに大学の上級の英語クラスに入る事になったんですが、そのクラスは下からがんばってだんだんに英語のクラスを上げて来た人ばかりだったので嫌みを言われました。まあそういうレベルですよ。
いまごろ私の高校時代の同級生はアメリカで大学卒業するっていうのによ。日本でちまちま争っている時間は無駄です。

留学してから


完全にアンチ留学キャンペーンは過去のものとなりました。
ロンドンには短期語学留学している大学生もいましたが、特になにも思いません。
ただ、大学の正規留学と語学学校生の考え方とか時間の使い方が全然合わないので、そもそも知り合いにはならないということだけはわかりました。
何がいいたいのかと言うと、大学は忙しすぎてロンドン観光する暇もないということです。現地の人たちと楽しくふれあうのではなく、イギリス人同級生に酷に扱われる日々という違いです。いまは短期留学でも意味はあると思っているし、わたしの考えは全く間違っていたと思います。
つまり、「理系は英語をむしろどんどん勉強すべき。」ということです。

世の理系学生のみなさん、You must study English harder than others ですよ。


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